

大学受験を受けてきた生徒がしきりに首をかしげている。「単語や構文は難しくなかったのに解答できなかった」というのだ。あとでその問題を入手してみて分かったのだが、なるほどできないはずである。かなり高度な言語学に関する問題文をベースにした出題なのだ。高校では言語学など教えていない。だから単語や構文が分かっていても、彼らには意味が取れないのだった。しかも言語学というものは試験によく出るのだ。なぜ大学入試の英語で言語学の素材が頻出するのだろうか。それは後になって分かるのだが、大学の英語の出題者は文学部の英米文学系か、言語学系の先生がほとんどである。言語学系の先生が出題担当になった時、日頃あまり本を読んでいない人の場合、やむなく自分の手近にある専門書から出題するという横着を決め込むのである。
家庭教師や個別指導に何を期待しますか?勉強を教えてくれる、仲間だちと切磋琢磨できる、受験や定期試験などの情報やノウハウを教えてくれる。こんなところではないでしょうか。主に勉強中心ですね。確かにその通りです。しかし、それだけではないということを知っておかなくてはなりまん。結論を先に言ってしまうと、講師の存在自体が子どものものの考え方、価値観、生き方など、人格形成にまで影響をおよぼすのです。我が子の人生を左右するといっても過言ではありません。勉強のしかたというのはその人の頭の使い方です。テクニックの共通点などは多少ありますが、頭の使い方は人の数だけあると言っていいでしょう。頭の使い方はその人の価値観、考え方や視点、人生観ということまで決定し、また逆にそういったものが頭の使い方を決定しています。相互に影響しあっているものです。
[参考]
個別指導教室(予備校・塾)/四谷学院
http://yotsuyagakuin-kobetsu.com/
いま、我が国で、四年制大学と短大に進学する人は、十八歳人口の中で五〇パーセントに近い。三十五年ほど前、つまり一九七〇年(昭和四十五年)にこの大学・短大進学率はやっと二四パーセントであったが、それでもそれより十年前の一九六〇年頃、この数字が一〇パーセントであったことに比べると、この時期でさえも急上昇の最中であったと言えよう。その七〇年代初頭、K予備校の職員や講師たちは困惑していた。進学率のアップに伴って、浪人の数が増えるのはありがたいが、あまり勉強向きではない、むしろ勉強が嫌いな浪人生たちが年を追って増えはじめていたのだ。当時の浪人生といえば、現在と違って一流国立大学か、私立大学ならば早稲田大、慶応大を目指すいわゆる受験エリートが一般的であったのだが、そこに異種の浪人生が混入しはじめ、一集団を形成するまでに増大していた。予備校の学力面での質を保つために、特定のコースのみで行われていた選抜テストをすべてのコースで行って、学力の低い層をふるい落とすべきだという声も出た。